かわさき未来トーク
産業・研究開発

ナノ医療の現在地と、川崎から見える未来

iCONMセンター長 片岡 一則
東京大学大学院工学系研究科博士課程1年 石橋 幸音
聞き手:iCONM コミュニケーションマネージャー 島﨑 眞

※敬称略

川崎市の殿町国際戦略拠点「キングスカイフロント」にあるナノ医療イノベーションセンター(iCONM)は、2025年に設立10周年を迎えました。「ナノマシン」や「体内医療」など、最先端のナノテクノロジーを駆使した新しい医療の実現を目指して挑戦を続ける同センターの現状や今後の展望について、片岡一則センター長と東京大学大学院工学系研究科博士課程の石橋幸音さんにお話を伺いました。聞き手は、同センターコミュニケーションマネージャーの島﨑 眞さんです。

目次

    ナノテクノロジーを生かした新たな医療「体内病院」の実現を目指して

    島﨑:本日は創立10周年を迎えたナノ医療イノベーションセンター(以下、iCONM)の現状と今後の展望について、日本のナノ医療研究をけん引してきた片岡一則センター長、東京大学大学院工学系研究科にてナノ医療の研究で博士号の取得を目指す石橋幸音さんにお話を伺います。まずは、お二人から自己紹介をお願いします。

    片岡:
    iCONMセンター長の片岡です。私は東京大学大学院の博士課程からバイオマテリアル(体内で安全に使える人工材料)の研究を始めました。きっかけは当時の指導教官に「単にモノをつくるのではなく、人類の福祉の向上に役立つ研究をしてはどうか」と言われたこと。以来、数十年にわたって工学と医学の両分野にまたがる研究を続け、現在は主に「ナノマシン」と「体内病院」の研究に取り組んでいます。ナノマシンとは後で詳しくご説明しますが、簡単にいうと「目に見えないくらい小さい、医療用のナノカプセル」のこと。体内病院とは「ナノマシンを使って人の体の中で病気の予防・診断・治療を自動的に行う仕組みや技術」のことです。これが実現できれば、病気を早期に見つけ、体への負担を最小限に抑えながら治療をすることができます。

    石橋:
    東京大学大学院工学系研究科博士課程1年の石橋です。私は新潟県長岡市の出身で、現在、博士課程の1年生です。片岡先生のご指導を受けた宮田完二郎教授の研究室に所属し、主に脳腫瘍の発見・治療に使うナノマシンの研究に取り組んでいます。年に数回はここiCONMを訪れて研究者の皆さんとディスカッションを行っています。iCONMが行うイベントのお手伝いをすることもあります。iCONMには企業や大学などいろいろなバックグラウンドの研究者が在籍しており、とても良い刺激をいただいています。

    設立10年、多様な才能が交錯するイノベーティブ拠点に成長

    島﨑:iCONMは今年10周年を迎えました。片岡先生は設立当初からセンター長を務めていらっしゃいますが、どのような経緯で就任されたのですか?

    片岡:
    iCONMの設立は2015年ですが、すでに2013年に採択された「革新的イノベーション創出プログラム川崎拠点(プロジェクトCOINS)の研究活動のリーダーを務めていた関係で、iCONMのセンター長に就任することになりました。iCONMのあるキングスカイフロントは、もともと自動車工場のあった場所です。かつて川崎市を支えてきた重化学工業を象徴する地に、ライフサイエンスや環境分野の研究開発、新産業の創出をめざすオープンイノベーション拠点を築くという構想に、大きな感銘を受けました。建物の構造も非常に斬新で、異分野の技術や人材が自然に集まって交流できるようにオープンスペースを随所に取り入れた設計が採用されており、研究者同士の連携を促進する環境が整えられています。新事業やベンチャー企業の創出を後押しする取り組みは、当時の日本において極めて先進的で画期的な試みであったと思います。

    島﨑: この10年で、どのような成果がありましたか?

    片岡:
    iCONMでは、「①京浜健康コンビナートの中核として、②市民の誇りとなり、③夢を叶える医療技術を次々と発信し、④世界で最もイノベーティブな拠点を目指す」というビジョンを掲げていますが、この10年間で、①~④すべてにおいて一定の成果を上げることができたと自負しています。

    なかでも③については、取り組んできた研究の一部を臨床試験の段階にまで進めることができました。これは、基礎研究として始まった成果が実際の医療現場での応用に大きく近づいたことを意味します。iCONMで生まれた技術が、人の体で安全性と有効性を確かめる段階に入ったことは、未来の医療実現に向けた確かな前進であり、研究者にとっても市民にとっても大きな希望になっていると考えています。

    島﨑:10年間を振り返って、何に一番苦労されましたか?

    片岡:
    しいて挙げるとすれば、iCONMのコンセプトがあまりに先鋭的であったがゆえに、周囲の理解を得るまでに時間を要したことでしょう。「交流スペースは無駄じゃないか?」「ナノ医療など実現できるのか?」といった疑問の声も少なくありませんでした。けれども、そうした課題があるからこそ挑む価値があり、やりがいも大きかったのです。常に新しいことに挑戦する姿勢を大切にし、一歩ずつ前進を重ねてきました。その結果、iCONMはまるで梁山泊のように、多様な人材が自然に集い、互いに刺激を受け合う拠点へと育ちました。異分野の研究者や技術者が交流し、多様な才能とアイデアが交錯する場を築けたことを、何より嬉しく思っています。

    ※豪傑や野心家など、優れた人物が集まる場所のたとえ

    島﨑:石橋さんは研究者として、iCONMにどんな魅力を感じますか?

    石橋:
    大学ではなかなか実現できない、異分野の研究者や企業との連携、市民との交流が可能な点に魅力を感じています。外部に開かれた環境の中で、研究と社会が近く、実際に社会で役立つ研究成果を身近に感じられるのも大きな魅力です。異なる分野の知見や経験が交わることで、新しいアイデアや技術の発想につながりやすく、研究の幅やスピードも広がります。実社会へのインパクトを意識する環境があるからこそ、iCONMでの取り組みは単なる学術研究にとどまらないのだと思います。また、海が近くて開放的な環境も、素晴らしいと思います。目の前に多摩川と羽田空港を望むラウンジで過ごす時間は、良い気分転換になっています。

    ナノ医療で実現する「病が気にならないしなやかな健康長寿」とは?

    島﨑:ここで改めて、「ナノ医療」の説明をお願いします。

    片岡:
    ナノ医療とは、ナノテクノロジーを医療に応用する新しい取り組みです。ナノテクノロジーとは、物質をナノメートル(1ナノメートル=10億分の1メートル)という非常に小さなスケールで扱い、その構造や性質を工夫する技術のことを指します。物質は大きさが変わると性質も変化することがあり、例えば金や銀などの金属はナノサイズになると色や硬さ、反応のしやすさなどが通常とは異なってきます。冒頭で紹介した「ナノマシン」はこうした特性を利用したナノサイズの極小カプセルです。実用化できれば、病気の細胞だけに薬を届けたり、体の中の異常を早く見つけたりと、これまでにない方法で診断や治療が可能になります。たとえば、従来のがん治療では抗がん剤をそのまま投与していたため、がん細胞ではない正常な細胞にまでダメージを与える副作用が課題でした。しかし、抗がん剤を搭載したナノマシンを使えばがん細胞だけを狙い撃ちして抗がん剤を届けることができ、副作用を抑えることができます。

    iCONMでは体内を循環するナノマシンが、体内の異常を察知すると、その異常が将来どのような疾患に結びつくのかを診断し、必要であれば適切な治療まで行う「体内病院」の仕組み構築を目指す研究を進めています。

    島﨑:この10年で、ナノマシンの研究は、どの段階まで進みましたか?

    片岡:
    すでに脳腫瘍やがんなど一部の疾患を対象にした研究では、臨床試験の段階まで進んでいます。例えば先ほどの抗がん剤を搭載したナノマシンの研究はすでに第2相の臨床試験(少人数を対象に薬の安全性と有効性を確認する試験)まで進んでおり、実用化に向けて大きく前進しています。20年後の2045年に体内病院の実現を目指し、引き続き産学官で力を合わせて研究にまい進してまいります。

    島﨑:体内病院をはじめとしたナノ医療の実現によって、どのような未来が期待できますか?

    片岡:
    私は、ナノ医療は医療における産業革命のようなものだと考えています。産業革命によって工業化が進むと、これまで仕事に多くの時間を取られていた人々にも自由に使える時間(余暇)が生まれました。その時間を使って人々は、生活の不便を解決するアイデアや新しい技術の研究・開発に取り組むことができ、結果としてさまざまな発明やテクノロジーが次々と生み出されたのです。同様に、ナノテクノロジーを医療に応用することで、医療従事者に余裕を生み出し、患者と向き合う時間を増やすことができます。つまり、一人ひとりに最適な医療を提供できる体制を築くことが可能になるということです。さらに、少子高齢化に伴う医療従事者不足にも貢献できるので、最終的には病気が不安要素にならない社会、つまり「病が気にならないしなやかな(レジリエントな)健康長寿社会」を実現できると確信しています。

    「越境する好奇心」が研究の原動力

    島﨑:石橋さんもナノマシンを使った研究をされていますね。修士論文にまとめた「ナノルーラー」の研究は学内で工学系研究科長賞を受賞されたと伺っています。どのような研究ですか?

    石橋:
    ナノルーラーというナノサイズのルーラー(ものさし)を使い、血管の穴の大きさを測定する研究に取り組んでいます。血管の壁には非常に小さな穴があり、ナノマシンはその穴を通過することで薬を必要な細胞まで届けるのですが、穴の大きさは臓器や病気の進行度合いによって異なるため、穴に合ったナノマシンを作らなければ、薬を届けることはできません。そこで、ナノルーラーを使って血管にあいた穴のサイズを調べ、そのサイズに合わせてナノマシンを設計することで、効率よく薬を届けることを目指しています。現在、私たちが主に取り組んでいるのは、脳腫瘍の治療に使うナノルーラーとナノマシンの研究です。通常、脳の血管には穴が開いていませんが、腫瘍ができると血管に小さな穴が生じます。その穴の大きさを測定して穴を通れるサイズのナノマシンを設計することにより、腫瘍に直接薬を届ける仕組みを実現したいと考えています。

    島﨑:石橋さん、この機会に大先輩である片岡センター長に質問したいことはありますか?

    石橋:
    2つあります。まず、片岡先生は私のような若手研究者や研究者を目指す学生に、どのようなことを期待されますか?


    片岡:
    「越境する好奇心」を持ち続けてほしいですね。日本では大学や大学院での専攻が重視される傾向がありますが、海外ではそれほど気にされません。専攻について尋ねられることはほとんどなく、代わりに「今、何の研究をしているの?」と聞かれます。自分の専攻をベースにしながらも、その枠にとらわれず、幅広い分野に目を向けて、心から研究したいと思えるテーマを見つけてほしいと願っています。

    石橋:
    ありがとうございます。もう一つ質問させてください。先生は50年近く第一線で研究を続けていらっしゃいます。モチベーションを失わず、長く研究に打ち込める秘訣は何でしょうか?

    片岡:
    やはり、越境する好奇心をもつこと。そして、研究を楽しむことです。英語で博士号のことをPh.D.(Philosophy Doctor)といいますよね。明治時代にこの言葉が入ってきたとき、Philosophyは「哲学」と訳されてしまいましたが、本来は「知を愛する」という意味の言葉です。つまり、研究者というのは、知ることを愛して探求する人なんですよね。大学院時代にはただ論文を書くだけでなく、好奇心をもっていろいろな分野に目を向け、自分で考えて探求する方法論をぜひ身に付けてください。そして、物事を探求することそのものを喜ぶ姿勢を大切に。「~しなければならない」と自分を追い込まず、柔軟にいろいろな方向から考えることで長く研究を続けられるのではないでしょうか。

    石橋:
    ありがとうございます。私も知を愛する一人として、越境する好奇心を失わず、研究を楽しみたいと思います。

    ベンチャースピリッツが息づく川崎は、イノベーション拠点に最適な地

    島﨑:お二人に川崎についてもご意見を伺いたいと思います。片岡先生は川崎という都市にどんな可能性や魅力を感じていますか?

    片岡:
    川崎は明治時代以降、民間の起業家が中心になって港湾開発を行うなど、ベンチャースピリッツが息づく土地柄ですから、イノベーションに挑む私たち研究者にとって、まさに理想的な環境だと感じています。市民の皆さんの研究への関心も高く、市の政策と連動した取り組みがスムーズに進められる点も素晴らしいと思っています。羽田空港に近いので、海外の研究機関や企業とのネットワークを意識した活動が行いやすく、グローバルな視点での研究を進める上で、大きな利点となっています。

    石橋:
    川崎と聞くと工業地帯のイメージが強かったのですが、iCONMのあるキングスカイフロントは思った以上に自然が身近で、健康や環境の研究をするにはぴったりの場所だと思います。私の大学は都心にあり、普段は研究室にこもりがちなだけに、海や空をすぐそばに感じられるiCONMに来るのがとても楽しみです。訪問の度に多摩川や羽田空港の景色を眺めて、心身ともにリフレッシュしています。聞くところによると、川崎にはご当地グルメやクラフトビールなど美味しいものもたくさんあるそうなので、これからはiCONMを訪問するついでに、プライベートでも川崎を楽しみたいと思っています。

    高校生と研究者の交流会も。理系人材育成にも貢献するiCONM

    島﨑:石橋さんのような女性研究者の活躍は、非常に心強いですね。「若者の理系離れ」という言葉もありますが、片岡先生はどう考えていますか?

    片岡:
    まず、多くの高校で理系と文系を分けるシステムがありますが、どちらかを切り捨てるのではなく、横断的に学べる環境を作れると良いですね。実は私は高校2年までは文系志望でした。結果として大学では理系の学部に進み、工学と医学の領域で研究をすることになりましたが、研究を続ける中で実は文系のスキル(読解力、作文力など)にずいぶん助けられました。また、数学については、細かく教えすぎるのではなく、基本をしっかり教えて、数学の面白さを知ってもらうような教育が理想ですね。

    島﨑:工学系に進む女性は少ないですが、石橋さんはなぜ工学部を志望したのですか?

    石橋:
    単に学問を追求するだけでなく社会に役立つ勉強がしたいと思い、工学部に進学しました。実際に入ってみると予想以上に女性が少なくて、東京大学全体でも理系の女子学生は2割ほど。工学部は1割未満です。女性のロールモデルが身近にいないことに不安を感じることもありますが、だからこそ、自分たちの世代が研究者として実績を積み、次の世代の女性が理系を選びやすくなる環境を作っていきたいと考えています。iCONMに来ると、女性研究者が生き生きと活躍している姿を見ることができ、とても励みになります。

    片岡:
    iCONMでは若い世代に理科への関心をもってもらうために、川崎市内の高校への出前授業やワークショップ、研究者体験や研究者との交流会などを行っています。先日も市内の女子高生たちが見学に来てくれたんですよ。

    石橋:
    いいですね。高校時代にiCONMのような最先端の施設を見学できるなんて、学生たちにとって大きな刺激になったのではないでしょうか。私自身もiCONMで公開イベントのお手伝いをすることがありますが、研究者と市民の方々が直接交流する場に立ち会うことで、多くの気づきや学びを得ています。将来は大学教員となり、若手研究者の育成にも携わりたいと考えているので、こうした機会は自分にとってかけがえのない経験になっています。

    医療・工学・看護の連携で川崎発の「ケアイノベーション」を

    島﨑:最後に片岡センター長から川崎市民の皆さんに、一言メッセージをお願いします。

    片岡:
    iCONMでは創設以来、ナノ医療の研究や人材育成に取り組んできました。しかし、私たちが目指す「病を意識せずに生きられる、しなやかな(レジリエントな)健康長寿社会」を実現するには、医学研究だけでは十分ではありません。介護や看護に携わる人材の育成に加え、介護ロボットや見守りセンサーといった先端テクノロジーの活用も欠かせません。こうした課題意識から、川崎市では『プロジェクトCHANGE』が始動しました。医療・工学・看護の専門家が連携し、介護・看護の現場をより良くするとともに、地域や在宅ケアの質を高め、さらに職場環境の改善や新技術の開発にも挑戦しています。iCONMもこの取り組みに参画し、現場の皆さんと力を合わせながら「ケアイノベーション」の実現に貢献したいと考えています。市民の皆さんとともに、安心して長く健康に暮らせる未来を築いてまいりますので、今後とも温かいご支援をお願い申し上げます。

    公益財団法人 川崎市産業振興財団 ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)

    CHANGE:Center or Healthy longevity And Nursing innovation with Grobal Ecosystem/レジリエント健康長寿社会の実現を先導するグローバルエコシステム形成拠点。看護現場に革新をもたらすことを目指し、医療・工学・看護の共創を推進する取り組みで、このプロジェクトは、JST COI-NEXTプログラム川崎拠点として2022年に採択され、10年間をかけてレジリエントな健康長寿社会の実現を目指す。

    シンカ

    ナノマシンを図解!

    川崎市「キングスカイフロント」にあるナノ医療イノベーションセンター(iCONM)は、未来の医療を切り拓く最前線の研究拠点です。ここでは、ナノマシン技術を駆使して、従来の医療の枠を超えた「体内病院」の実現を目指しています。ナノマシンはナノメートルサイズの微小な機械で、薬を特定部位に届ける「運び屋」として機能します。iCONMでは、がんやアルツハイマー病など難治性疾患に対応するスマートナノマシンの研究が進められ、体内の異常を感知して自動的に薬を放出することで、精密かつ副作用の少ない治療を可能にします。キングスカイフロントから生まれるこの革新は、日本の医療を次の時代へと押し進め、誰もがより安心して医療を受けられる未来を切り拓きます。