JR東日本川崎駅の1日に密着。駅から広がる地域包括ケアとは?

※敬称略

巨大ターミナル駅・JR川崎駅を支える仕事

今日はJR川崎駅の駅長はじめ3名にお越しいただきました。まずは、駅長から自己紹介をお願いします。

駅長:
電車の運転士をしていた父の影響で、高校卒業後に日本国有鉄道(現・JR東日本)に入社しました。運転士や企画部門などを経験し、2023年の7月からJR川崎統括センターの所長として川崎駅、鶴見駅や南武線の各駅、乗務員職場などを管轄し、約450名の社員とともに日々、安全・安心な電車の運行管理、お客さまのご案内に努めています。私自身、4歳から18歳まで川崎市で育ちました。ふるさと川崎の皆さまの生活の足を支える仕事ができることは、私にとって大きな喜びです。

快適に安心して駅を利用してもらうために、どんなことを心掛けていますか?

まず、「お客さまの視点」を失わないことです。駅は、日常生活で使われるお客さまのほか、受験や大切な商談など「人生の分岐点」に立っている人も利用するケースが多い場所。時にはお客さまの人生を大きく左右する可能性のある場所で働いていることを忘れないように自戒していますし、社員にも常々伝えるようにしています。

続いて、社員の小山さんと佐藤さん、自己紹介をお願いします。

小山(仮称):
私は2025年の4月にJR東日本に入社し、半年間の研修を経て、川崎駅に配属になりました。現在は主にみどりの窓口できっぷの発券業務に携わっています。入社前まで特に鉄道の知識が豊富というわけでもなかったので、わからないことも多く戸惑いましたが、毎日の業務を通じて学びながら一生懸命取り組んでいるところです。

佐藤:
入社して13年になります。入社後は駅で5年間窓口業務などを経験した後、南武線で約6年間、乗務員を務めました。現在は川崎駅で改札業務と内外で行われるイベントの運営業務を担当しています。安全な列車運行を直接担う乗務員から、お客さまを迎える駅の業務へと役割は変わりましたが、鉄道と地域をつなぐ仕事に関われていることに、大きなやりがいを感じています。

早朝3時、今日も安全と安心を運ぶ1日が始まる

朝早くから深夜まで多くの方が駅を利用されています。どのような勤務体制で対応しているのですか?

小山:
川崎駅の業務は「改札業務」と「みどりの窓口」業務に分かれています。みどりの窓口が営業開始する朝10時まではオープンに向けた準備作業、10時から19時まではきっぷの販売などの窓口業務、19時以降は券売機の売り上げの管理や、改札業務のサポート。終電後はシャッターを閉めて改札機の中のきっぷを取り出して、特に事故やトラブルがなければ、0時50分頃に業務が終了。大雨などの自然災害や、突発的な事故により終電が遅くなってしまうと、終業が1時とか1時半になってしまうこともあります。

佐藤:
初電(始発電車)対応の場合は、22時前にいったん業務を切り上げて駅の中にある休養室に泊まり、起床して初電(現在の川崎駅の京浜東北線の始発電車は午前4時34分)の準備をします。起床後、駅構内の安全確認やエレベーターや自動券売機などの動作確認など、始業準備を行います。その後シャッターを開けてお客さまをお迎えし、1日の業務が本格的にスタートします。

「サービス介助士」資格取得を推進。誰もが安心して利用できる駅を目指す

皆さんの名札に「サービス介助士」と記されていますが、この資格はどのようなものなのでしょうか?

駅長:
サービス介助士は公益財団法人日本ケアフィット共育機構が認定する民間資格です。JR東日本ではご高齢のお客さまやお身体の不自由なお客さまが、駅や列車を利用される際に必要な介助技術とホスピタリティマインドの習得を目的に、2005年から、当社グループを含めた会社全体で資格を取得することを推し進めています。現在ではグループ企業を含め全社員の約51%がサービス介助士の資格を取得しています。川崎駅でも私を含め、ほとんどの社員が有資格者です。

駅長も資格を取得されているんですね。取得前後でホスピタリティについての意識や、お客さまへの対応に変化はありましたか?

駅長:
入社以来、車いすをご利用のお客さまや目の不自由なお客さま方への対応には注意してきましたが、当時は自己流に頼っていました。サービス介助士の講義を受けて初めて、不快感を与えていないかという視点に気づかされました。たとえば、車いすをご利用のお客さまと目線の高さと合わせているか、目の不自由な方に急に背後から声をかけて驚かせていないか、といった点を立ち止まって確認できるようになったことは、大きな学びでした。

佐藤:
私も11年前にサービス介助士の資格を取ったことがきっかけとなり、『こうすればお客さまの不安を和らげられる』と知識を身につけたうえで、接することができるようになったことで、お客さまに安心していただけているのであれば、とても嬉しく思います。

小山:
私も自分に知識が増えたことで、自然にコミュニケーションが取れるようになった気がします。

地域の一員として、駅も「地域包括ケア」の担い手でありたい

介助が必要なお客さまとの印象的なエピソードがありましたら、教えてください。

佐藤:
私たち改札係員は車いすをご利用のお客さまや白杖をご利用のお客さまが改札に来られた際に、スムーズにご利用いただけるよう手配を行うのが日常業務の一つですので、毎日のように顔を合わせるお客さまも少なくありません。そのようなお客さまとは「お帰りなさい」「今日はこの時間にお出かけなんですね。混雑しているのでお気をつけていってらっしゃい。」といったお声掛けが生まれ、時には「ただいま」「帰ってきたよ」と声を返していただくこともあります。自分たちの働く駅をお客さまが安心して使っていただいていることが伝わってきて、とても嬉しく、改めてこの仕事の喜びや意義を感じています。

小山:
私が印象に残っているのは、改札業務中に高齢のお客さまをご案内したエピソードです。そのお客さまは「踊り子号に乗りたい」とのことでしたが、踊り子号に必要な特急券をお持ちではありませんでした。通常なら「特急券を別途ご購入下さい」とご案内するのですが、そのお客さまは券売機の操作に慣れていないご様子でしたので、発券機の操作手順を説明しながら購入をお手伝いしました。無事にきっぷを手にしたお客さまから何度も感謝され、その後笑顔で乗車されていきました。急速に電子化・自動化が進み、最近はスマートフォンや交通系ICカードだけで電車に乗り降りできる便利な時代になりましたが、その変化への対応が難しい方もたくさんいらっしゃいます。「デジタルに不慣れなお客さまを支えるのも、私たちの大切な役割だ」と実感した出来事でした。

駅長:
最近は認知症のお客さまへのサポート強化にも取り組んでいます。2025年9月、当駅では川崎区役所地域支援課にご協力いただき「認知症サポーター養成講座」を開催。これから積極的に認知症サポーターの養成に取り組んでいきたいと考えています。困っている方・助けが必要な方にさっと手を差し伸べられる体制を整えることで、誰もが安心して過ごせる川崎駅を作っていきたいですね。川崎市では今、高齢者や障がいのある方を含め誰もが住み慣れた地域で安心して暮らせるための「地域包括ケア」を推進していますが、川崎駅も地域の一員としてケアの一端を担う存在でありたいと願っています。

最終電車の見送り。1日の終わりは新たな1日の始まり

1日の終わりをどんな気持ちで迎えますか?

駅長:
駅にとって、1日の終わりは同時に新たな1日の始まりでもあります。終電が出て窓口や改札業務が終わると、夜の間に点検や清掃、整備といった重要な仕事が始まります。夜は、一日の業務を終えた安堵と、翌日を安全に迎えるための緊張感――この二つを同時に味わう時間です。この両方の感情があるからこそ、駅としての役割を全うできるのだと思います。

小山:
シャッターを閉めると、昼間の賑わいが嘘のように駅構内は静まり返ります。その静けさの中で、日中どれだけ多くのお客さまに利用していただいていたかを改めて実感し、駅係員としてこの場所で働ける誇りと責任の重みを深く感じます。駅長が話す「夜は新しい1日の始まり」という趣旨も理解できますが、正直、私は「今日も無事にやり切れた」という安堵でいっぱいです(笑)。

佐藤:
鉄道の仕事はインフラの仕事なので、「いつもどおり」が一番です。お客さまも普段通りの景色の中で安心して過ごせる、それが駅の最も理想的な状態だと考えています。何もなかった日は安心感がありますし、「今日も無事に終えられた」という満足感も大きいです。翌日の担当者に「今日は特に何もなかったよ。明日もよろしくね」と安心して引き継げるよう、目の前の仕事に一つずつ丁寧に取り組んでいきたいと思います。

「新しい始まりを一緒に」。駅と市が一体となって地域の魅力を発信

最後に今後の展望と市民の皆さまへのメッセージをお願いします。

小山:
まずは、いつも川崎駅をご利用いただき本当にありがとうございます、という気持ちです。私自身はまだ川崎駅で働き始めたばかりで、先輩方に支えられながら業務に取り組んでいます。
まだ一人でできないことも多いですが、まずは先輩に頼りながら確実に業務をこなしていくことを心がけています。そして、一日でも早く先輩に追いつき、将来的には自分ひとりでもお客さまや川崎市民の皆さまに快適にご利用いただける駅づくりに貢献できるよう、努力していきたいと思っています。


佐藤:
いつもご利用いただき本当にありがとうございます。近年は駅の役割が大きく変わりつつあり、「人と地域をつなぐ場」としての役割が増しているように感じています。私自身も地域と連携したイベントの運営やお客さまのお手伝いをする中で、JR東日本が提供できる価値が変化していることを感じていますし、変えていかなければならないとも思っています。川崎駅では、車いすや白杖をご利用のお客さまへの介助サービスなど、誰もが安心して快適に利用できる環境づくりにも力を入れています。こうした取り組みも含めて、「川崎駅が最寄り駅でよかった」と思っていただけるような駅にしていきたいです。

駅長:
彼の話すとおり、駅は今まさに「移動の場」から「体験の場」へと進化しています。お客さまは単に電車に乗り降りするためだけでなく、駅ナカで買い物を楽しんだり、産直イベントで地方の特産品を体験したり、駅での時間そのものを楽しんでいらっしゃいます。こうして新しく生まれ変わろうとする今だからこそ、私たち川崎駅は、川崎市が掲げる「新しいはじまりを、さあ、一緒に」というコンセプトに深く共感しています。芸術や音楽を通じた地域の活性化といったまちのビジョンを、駅が具体的な形にするという役割――駅と市が一体となって地域の魅力を発信できる可能性を強く感じます。
これまでにも川崎駅では、地域の特産品を紹介する産直イベントのほか、地元アーティストによる音楽ライブなど、さまざまな取り組みを通じてお客さまに新しい体験を提供してきました。こうした活動を通して、駅がまちの魅力を発信する拠点として機能し、川崎市民の皆さまに「川崎駅があってよかった」と感じてもらえるようにしていきたいと思っています。皆さま、これからも川崎駅をよろしくお願いします。そして、これからの川崎駅にどうぞご期待ください。

シンカ

川崎市地域包括ケアシステム推進ビジョン

「川崎市地域包括ケアシステム推進ビジョン」は、高齢者をはじめ、障害者やこども、子育て中の親などに加え、現時点で他者からのケアを必要としない方々を含めた「全ての」地域住民が住み慣れた地域や自らが望む場で安心して暮らし続けられるようにするための基本的な考え方を示したものです。川崎市では今、このビジョンに基づき、地域で医療・介護・予防・住まい・生活支援など、必要なケアが地域において一体的に提供されるための仕組み「地域包括ケアシステム」の構築を進めています。

ビジョンや具体的なサービスについてはこちら
川崎市 : 川崎市地域包括ケアシステム推進ビジョンの策定について

世界とつながる橋の下で生命が躍動!多摩川河口干潟で生命の息吹を感じよう

羽田空港のそばに息づく「都市の自然」

まずは、お二人がこの干潟と関わるようになった経緯を教えてください。

佐川:
私は約20年前に当時小学生だった息子たちを連れて川崎の干潟に遊びに来たのがきっかけです。当時、生きものに興味を持っていたこどもたちと一緒に、カニを探したり魚を網で捕まえたりして遊んでいました。するとある日、川崎市環境局の方が通りかかって、「いつもここで遊んでいるんですか?」って声をかけてくれたんです。それがきっかけで情報交換をするようになり、大師河原水防センター(大師河原干潟館)ができるときに、川崎市の準備委員会に入れていただくことに。センターの一角に干潟の自然について紹介するコーナーを作るお手伝いを通じて、より深く多摩川干潟と関わるようになりました。

藤木:
私は2016年に羽田連絡道路(現多摩川スカイブリッジ)のプロジェクトに参加することになったのがきっかけで、この干潟の存在を知りました。それまでは川崎市の臨海部=京浜工業地帯というイメージが強く、こんなに豊かな自然が残っているとは知りませんでした。

この干潟周辺の生態系、自然の特徴を教えてください。

佐川:
干潟は河口に近いため、海の潮が運んでくる海水と、多摩川から流れ込む淡水とが混ざり合う独特の環境です。そのため、どちらの環境にも適応できる多様な生きものが暮らしています。人間の生活のすぐ近くを流れる川なので、いわゆる「清流」ではありません。しかし、そのような水だからこそ栄養が豊富で、その栄養を糧に多くの生物が暮らしています。

また、このエリアの自然は、いわゆる手つかずの「大自然」ではなく「都市の自然」です。高層ビルや道路といった人工の構造物に囲まれた環境の中で、それでもなお息づく自然が残されています。ある意味でこの自然は、例えば八ヶ岳の大自然よりも豊かです。多摩川なら干潟を少し歩くだけでカニや魚などたくさんの生きものを間近に見て、自分の手で触れることができます。これって、とっても豊かなことですよね。

環境への負荷を最小限に。自然との共存を前提に工事をスタート

この干潟を行政としてどのように位置づけていましたか?また、橋の計画段階では自然との共存をどのように考えていたのでしょうか?

藤木:
プロジェクト立ち上げの段階で、建設予定地近くに干潟があり、底生生物(海や川の底にすむ生物の総称)や鳥類がたくさん暮らしていることは認識していました。そこで、橋の建設によってこの豊かな自然が損なわれることのないよう、配慮した建設計画を立てました。具体的には、橋脚の数を極力少なくしたり、野鳥が飛ぶのを妨げないように橋の高さを極力低く設計、夜間の光が干潟に漏れないように照明を柵に内蔵したりするなど、可能な限りの配慮を盛り込みました。

市民の皆さんからは、どんな意見が寄せられましたか?

藤木:
橋ができることで自然が壊されるのではないか、という懸念の声が寄せられました。市としてはご懸念を真摯に受け止め、佐川さんを含め自然保護団体の皆さんのご意見も聞きながら、環境影響調査を行う手続きを進めました。そして着工前の2016年から環境調査を開始、鳥の種類や数、飛行高度、干潟に住む底生生物などを四半期ごとに調べました。調査結果は、市が組織した「河川河口の環境アドバイザー会議」に報告し、河川環境の専門家の皆さんに都度ご意見を伺いました。調査結果を受けての工事計画変更はありませんでしたが、調査を通じて干潟をより深く理解できたのは、私たち川崎市にとっても非常に大きな収穫だったと思います。

佐川さんは、橋の建設計画をどのように受け止めましたか?

佐川:
率直に言うと、最初は大きな構造物ができることに抵抗感がありました。干潟の生きものに影響があるのではないかと心配したためです。ですが、実際に橋ができてみるとほとんど影響はなかったですね(笑)。橋ができた後も、干潟やそこに住む生きものたちに大きな変化はないと思います。そもそも干潟というのは、不安定なものなんです。大雨や台風が来ただけで、簡単に形状が変わります。干潟を「変えない」というよりも、私たちが干潟の変化に合わせて見守っていくという姿勢が大切なんじゃないかと思っています。

対話を重ねて相互理解や信頼関係を築く上で、印象的だったエピソードを教えてください。

藤木:
一番印象に残っているのは、佐川さんをはじめ市民の皆さんと一緒に何度も干潟を歩いたことです。当たり前のことですが、「干潟がある」ということを知識として知っていることと、実際に自分の足で干潟を歩くことは全く違います。私自身、それまで干潟に行ったことがなく、どんな生物が生息しているのかすら知らなかったのですが、実際に干潟を歩いて、生物の多様性や自然の豊かさを体感したことで、「この自然を守りたい。工事によってこの干潟に影響を与えてはならない。」という気持ちが自然と湧き上がってきました。

佐川:
多摩川スカイブリッジの工事がきっかけで、行政の方が干潟に目を向けてくれるようになったことを、とても心強く思っています。干潟館では2008年から、1辺20cmの枠で泥を採取して、その中にいる生きものを調べて観察する「スコップ100」というイベントを続けているのですが、このイベントにも行政の皆さんが参加してくれるようになりました。行政と市民、研究者が一緒に干潟の生きものを観察するという、とても貴重な機会となっています。

観察を続け、変化に対応する体制づくりを

開通から4年が経ちますが、現在の干潟の様子はいかがでしょうか?

佐川:
いい意味で、大きな変化は見受けられません。以前と変わらず、いろいろな種類のカニも観察できますし、多摩川河口プロジェクトチームという団体の主催するモニタリングでは、今まで見たことのない珍しい魚がいたことも報告されていますし、貴重なトビハゼやアサクサノリも確認できています。

藤木:
工事にあたって橋脚設置のために干潟を掘削し、工事後に保存してあった土を埋め戻したのですが、その部分も周囲と馴染んで安定し、生物の生息状況も周辺と同様になっています。モニタリング調査の結果を見ても、特に工事前後で大きな変化はみられていません。

佐川:
干潟のある河口は、水だけでなく土砂とかごみとか、いろいろなものが流れ着いてくる場所です。干潟はそれを受け入れて、流し出す力を持っているんです。先ほど申し上げたとおり、常に変化もしています。私たちが干潟のためにできることは、観察し続けること。多摩川スカイブリッジをはじめ私たち人間が作り出したものを、干潟がどう受け止めてどんな答えを出すのかを、これからも観察し続ける必要があります。そして、その結果を発信することで、干潟の状況を多くの人に知っていただきたいと思っています。

環境と調和するまちづくりを川崎から全国に発信

佐川さんは、現在どのような活動をされているのですか?

佐川:
NPO法人多摩川干潟ネットワークの主な活動は、干潟館の管理運営、観察会やイベントの開催です。干潟館では多摩川河口の自然や防災、地域の歴史文化などの展示をしているほか、干潟で拾ってきた貝殻や木の実を使ったプレートづくり、干潟の植物を使ったバッタづくりなど工作も楽しむことができます。こども向けの自然体験活動を行う「だいし水辺の楽校」では、干潟観察会や自然観察会、ハゼ釣り大会も開催しています。親子で参加される方が多いのですが、こどもさんよりも保護者(大人)の方が夢中になって遊んでいらっしゃいますね(笑)。生きものを捕まえたいという「本能」のようなものが呼び起こすというか、こどものころ、生きものを追いかけて遊んだ時の気持ちを思い出す、良い機会となっているようです。

今後、行政として環境と共生するまちづくりをどのように進めていきたいと考えていますか?

藤木:
このプロジェクトを通じて、改めて環境保全の重要性を強く認識しました。干潟は、生物多様性を支える貴重な自然環境であると同時に、市民の皆さんにとっても自然と触れ合える大切な場所です。今後は、市民の皆さんに干潟の役割や魅力を広く知っていただけるよう、わかりやすい情報発信や学習の機会を充実させるとともに、実際に自然に親しんでいただける場の紹介にも力を入れていきたいと考えています。

多摩川スカイブリッジの工事は、環境に配慮した施工のモデルケースとして注目を集め、全国の自治体からも問い合わせが寄せられました。今後も環境と調和するまちづくりに挑戦し続けていきます。

川崎市民一人ひとりの干潟への興味が、自然を守る原動力に。

多摩川河口干潟を次世代に残していくためには、何が必要でしょうか?

佐川:
次の世代に干潟を引き継いでいくためには、ただ環境を守るだけではなく、干潟と人とをつなぐ“架け橋”になってくれる人を増やしていくことが大切だと思います。地元の方はもちろん、外から来た方も含めて、干潟の魅力や自然の尊さに気づき、共感してくれる人が一人でも多く育っていけば、未来へと干潟を受け継ぐ原動力になるはずです。まずは、その気づきや共感を生む機会をもっと作っていくことが必要だと思います。

藤木:
まずは多くの方に干潟の存在を知っていただき、関心を持っていただくことが何より大切だと考えています。そのために川崎市としても、干潟の魅力や価値を積極的に発信し、市民の皆さんに共有したいと思います。取り組みを通じて関心の輪が少しずつ広がっていくことが、次の世代へとつなげていく大きな力になると信じています。

最後に、川崎市民の皆さんにメッセージをお願いします。

佐川:
遠くに出かけなくても、川崎市には豊かな自然があります。多摩川河口干潟もその一つ。カニやトビハゼなど干潟ならではの生きものを身近に観察できます。季節ごとに見られる生きものが違うので、春(5〜6月)や秋(9月末〜10月)の過ごしやすい時期はもちろん、一年を通して新しい発見があります。ぜひ一度、足を運んでいただき、身近な自然に触れてみてください。大師河原干潟館にも、生きものの情報がたくさんありますので、遊びに来てください。

藤木:
日常生活のすぐそばに、これほど豊かな自然があることは川崎市の大きな魅力のひとつです。自然に触れることで『こんな生きものがいるんだ』『もっと知りたい』という発見や驚きが生まれます。そうした体験は、こどもから大人まで、環境を大切に思う気持ちにつながっていくと感じています。川崎市としても、市民の皆さんに干潟の魅力を知っていただきながら、一緒に未来へと守り、引き継いでいけるよう取り組んでいきたいと思います。

※撮影は専門家指導のもと、安全に配慮して行っています。

※干潟の撮影は特別な許可のもとで行っています。干潟は一部立ち入りが制限されている場所があります。

大師河原水防センター(大師河原干潟館)

川崎の シンカ

多摩川スカイブリッジ ― 世界と川崎をつなぐ未来へのゲートウェイ

2022年に開通した「多摩川スカイブリッジ」は、世界の玄関口である羽田空港に隣接する羽田グローバルウイングスと、ライフサイエンスや環境分野の研究機関、企業、ホテルなどが集まる国際戦略拠点「キングスカイフロント」を結ぶ橋です。全長約675メートルのスカイブリッジは、多摩川の水辺に開かれた雄大な景観とともに、川崎と世界を結ぶ新しい架け橋。未来を担う研究開発が進むこのエリアと、世界各国から人々が訪れる羽田空港が、多摩川スカイブリッジによって直結しました。橋の上からは多摩川や東京湾、離着陸する飛行機を間近に眺めることができ、都市の活気と未来の可能性を肌で感じることができます。 多摩川スカイブリッジは、研究・ビジネス・観光をシームレスにつなぎ、川崎が世界に誇る「新しいかけはし」として、未来への扉を開いています。

母になってもアスリートの夢はあきらめない~女子バスケ・前澤 澪選手の挑戦

母になり、再びコートへ

4シーズンぶりの現役復帰、おめでとうございます。久しぶりの競技生活はいかがですか?

前澤 澪選手(以下、前澤):
子育てと競技の両立でバタバタですが、毎日がとても充実しています。ただ、2022年に引退してからは結婚・出産という大きなライフイベントが続き、完全にバスケットボールから離れていたので、引退前のようなプレーができなくなっていることに歯がゆさも感じています。あきらめずに練習やトレーニングを重ねて以前の感覚を取り戻し、チームに貢献できる存在になりたいです。

現役復帰のきっかけは?また、家族やチームメイトなど周囲の反応はどうでしたか?

前澤:
もともと現役に復帰する予定はなかったのですが、2023年の4月に長女を出産した後、思いがけず、国体の神奈川県チームに入れていただくことに。そこで久しぶりにプレーしたら本当に楽しくて、「やはり自分はバスケが好きなんだな」と実感、もう一度挑戦しようと決めました。家族は驚いたと思いますが、「絶対やったほうがいいよ」と背中を押してくれました。チームの仲間も温かく迎えてくれ、特にこどものいるヘッドコーチには「子育ての大変さはよくわかるから、何でも相談して」と言ってもらえて、すごく気持ちが楽になりました。

子育てと競技の両立がもたらした成長とは?

実際に子育てと競技を両立して、どんなところに大変さを感じますか?

前澤:
覚悟はしていたものの、とにかく時間のやりくりが大変ですね。練習日は朝6時半に起きて身支度を済ませ、7時45分に娘を保育園へ。午前はチーム練習、午後は個人練習。帰宅後は夕食やこどもとの時間、入浴や寝かしつけを済ませ、寝た後に家事。気づけば、あっという間に1日が過ぎています。地方遠征など泊りがけで家を空けるときや、こどもが体調を崩して保育園に行けないときなどは、近くに住む両親に助けてもらうことも多いです。両親やチームメイト、保育園の先生など多くの方に支えられて子育てと競技が両立できていることに、日々感謝しています。

子育てと競技を両立することで、競技に対する考え方や姿勢に変化はありましたか?

前澤:
すごく変わりました!以前は自分のチームが勝つため、自分が上手くプレーするため、という想いが大きかったのですが、今は、「わが子に、自分が頑張っている姿を見せたい」という気持ちを強く持つようになりました。また、チームメイトと向き合う姿勢にも変化がありました。私はもともと自己判断で突っ走ってしまうタイプだったのですが、まだ自己表現が上手くできないこどもと接するうちに、「今どう感じているんだろう?何を考えているんだろう?」と。相手の意見や気持ちに寄り添うことが自然にできるようになりました。その積み重ねが、チームメイトの声をより丁寧に受け止め、チーム全体を思いやる姿勢につながっていると思います。

支援も遊び場も充実。子育てがしやすいまち・川崎

お子さんと過ごす時間のなかで、一番楽しいと感じることはどんなことですか?

前澤:
こどもの成長を間近で実感できることが、何より楽しいです。こどもの成長って本当に目覚ましいですよね。昨日までできなかったことが今日はできるようになっていますし、体も心もどんどん大きくなっていきます。その一つひとつの変化を見守っていると、自分自身も負けないようにバスケを頑張ろうという前向きな気持ちになります。

前澤選手にとって川崎は子育てがしやすいまちですか?

前澤:
はい、とても子育てがしやすいまちだと思います。私も現役復帰に合わせて2025年1月に川崎市に戻ってきたのですが、4月から自宅近くの市立保育園に預けることができて、本当に助かっています。まだ利用したことはありませんが、病児保育制度や一時保育制度など子育て支援の制度も充実しているそうなので、どんどん活用していきたいと思っています。

休みの日はお子さんとどんなことをして過ごすことが多いですか?川崎市内でおすすめスポットなどがあれば教えてください。

前澤:
遊びに出かけることが多いですね。川崎市内には親子連れで楽しめる公共施設やショッピングモールがたくさんあります。公園もたくさんありますが、中でもよく出かけるのが市内各地にある「こども文化センター(児童館)」です。娘に「どこで遊びたい?」と聞くと、「こども文化センター!」と即答するほど気に入っています(笑)。センターでは、たまたま居合わせたこども同士がすぐに仲良くなって遊び始めるので、その姿を見るのも楽しいですね。私も他の保護者と子育て情報を交換したり、センター内にいる子育て支援員の方にいろいろ相談したりできるので、とても助かっています。

「川崎スポーツパートナー」として地域に恩返し~ バスケ教室でこどもに夢を

川崎市はスポーツが盛んなまちでもあり、アスリート育成・支援の制度も充実しています。前澤選手は川崎スポーツパートナーである富士通レッドウェーブの一員として、どんな活動をしていますか?

前澤:
川崎市のスポーツパートナーとして、地域のこどもたちとバスケットボールを通じて交流しています。たとえば2025年7月には、中原区が開催した市内小学生向けのバスケット教室に参加し、こどもたちを指導しました。同じ地域のこどもたちと触れ合うことができて、私自身とても楽しませてもらいましたし、こどもたちができないことに一生懸命チャレンジしたり、何かを吸収したりしようとする姿勢から、私も多くのことを学びました。

実は、私自身も小学生のときに憧れの選手に会ったことがきっかけで、プロのバスケットボール選手を目指すようになったんです。今度は自分がこどもたちにとっての“憧れ”になり、夢に向かって挑戦するための原動力になれたら本当に嬉しいです。これからも、そんな存在でいられるように努力していきたいと思っています。

後輩のアスリートには、どんなことを伝えていきたいですか?

前澤:
これまでの女性アスリートは、結婚や出産を選ぶのか、それとも競技を続けるのか。どちらか一方しか道がないように考えがちだったと思います。でも本来は、どちらかをあきらめなければならないと、縛られる必要はないと思うんです。結婚・出産も競技、両方を選んでもいい。もちろん、どちらか一方を選んでもいい。どう生きるにせよ、選択は自分自身でできるんだ、ということを伝えていきたいです。私自身も実際にその道を選んで戻ってくることができました。たくさんの方の力をお借りしていますし、まだまだ子育ても競技も道半ばではありますが、精いっぱい取り組んでいる姿を見せることで、将来に悩んでいる女子アスリートの皆さんの背中を少しでも押すことができたら嬉しいですね。

周囲への感謝を忘れず、子育てと競技の両方を楽しみたい

今後の目標を教えてください。

前澤:
まずはコンディションをしっかり整えて、チームに貢献できる存在になることが今の一番の目標です。ただ、子育てと競技を両立する中で、自分の力だけではどうしても限界があります。だからこそ、信頼できる周囲の人やサポートしてくれる人に頼ること、自分で抱え込まないことがとても大事だと思っています。助けを借りることで自分も無理なく力を発揮でき、よりよい結果につなげられるのではないでしょうか。幸い川崎市には頼れる子育て支援制度が充実しているので、上手に行政の支援にも頼りながら、子育てと競技をうまく両立して、両方を楽しみたいと思っています。

最後に地元・川崎市の皆さんへメッセージをお願いします。

前澤:
応援してくださる川崎市民の皆さんの存在が、私にとって本当に大きな力になっています。ホームタウンである川崎でプレーできることに感謝しながら、これからも全力で頑張っていきますので、引き続き温かい応援をよろしくお願いします。

富士通レッドウェーブ

まえざわ みお

1991年神奈川県生まれ。2014年に松蔭大学を卒業、富士通レッドウェーブに所属。ポジションはSG(シューティングガード)。Wリーグ2014-15シーズンのルーキーオブザイヤーを受賞。2015年にはユニバーシアードとアジア選手権の日本代表に選出され、アジア選手権で金メダルを獲得した。2021-22シーズンには富士通の6シーズンぶりのWリーグファイナル進出に貢献し、プレーオフベスト5を受賞した。同シーズン終了後に現役を引退。結婚、出産を経て2025年6月に現役復帰を果たした。

こども文化センター シンカ

子育てしやすいまち・川崎の「遊びと交流の拠点」

川崎市内各地にある「こども文化センター」は、こどもたちがのびのび遊び、学び、友だちと出会える場所として親しまれています。0歳から18歳未満のこどもとその保護者が気軽に集まり、遊びながら情報交換をしたり、地域の人たちと交流したりできる地域の子育てコミュニティの中心的な存在です。

川崎市では、待機児童ゼロを達成し続けるなど、保育施設の整備やさまざまな支援制度も充実しています。親が安心して子育てに向き合いながら、自分らしい生活を楽しめる環境づくりが進められており、こどもたちの成長を見守りながら、地域のつながりを感じられるまちとして進化を続けています。

出会いで変わった、私の人生。川崎には「居場所」がある

川崎から世界へ!ストリートカルチャーの最前線で活躍する4人を紹介

藤田剛士(以下、藤田):
川崎に息づく若者文化を通じて、若者の居場所づくりについて考えてみたいと思います。今日は、川崎を拠点に活躍するジャンプロープ日本代表のKAIさん、そしてプロダンスグループKADOKAWA DREAMSからHINATA.Mさん、KISAさん、KELOさんをお迎えしています。まずは、自己紹介をお願いします。

KAI:
スポーツ一家に育ち、幼いころからさまざまな競技に挑戦してきましたが、細かいルールに縛られるスポーツにはあまり興味を持てず、物足りない日々を過ごしていました。そんな毎日が、中学2年生のある日を境に一変。たまたま遊びに行った都立目黒高等学校の文化祭でジャンプロープのパフォーマンスを初めて見て、まるで雷に打たれたような衝撃を受けたんです。音楽に合わせて踊るように跳ぶ姿が本当にかっこよくて、「自分がやりたいのはこれだ!」と直感しました。勉強も頑張って無事に目黒高校に入学を果たし、ジャンプロープ漬けの高校時代を過ごしました。卒業後はプロのチームに所属して競技を続け、2025年には川崎市で開催されたジャンプロープの世界大会に出場、ダブルダッチペアとダブルダッチスピードスプリントの2種目で優勝を飾ることができました。川崎はジャンプロープの聖地とも言われる場所で、私自身も高校時代からよく練習に訪れている特別な場所。ここで最高の結果が残せたことがとても嬉しく、誇りに思っています。

HINATA.M:
僕は兵庫県の出身で、小学校1年生のときにマイケル・ジャクソンのダンス映画を見て衝撃を受け、ダンスを習い始めました。サッカーも習っていたのですが、高校にダンス特待生で入学できることになったのを機に、ダンス一本に絞り、当時まだ珍しかったプロダンサーを目指して本格的に活動を始めました。高3のときに、KADOKAWA DREAMSのエグゼクティブプロデューサーを務める、当時ダンサーのKEITAさんに声をかけてもらったのをきっかけに、オーディションを受けて入団し、現在はダンサーとして公演や各種イベントに出演しているほか、ダンス教室での指導も行っています。

KISA:
私は岡山の生まれで物心ついたころからずっとダンスをしていました。高校時代にプロのダンサーを夢見て上京し、高校3年生のときにKADOKAWA DREAMSのオーディションを受けて合格、以来5年間ずっとKADOKAWA DREAMSとして活動しています。もともとソロでダンスをしていたのですが、KADOKAWA DREAMSに入って初めてチームで踊る楽しさに目覚め、仲間の存在の大切さを実感しているところです。

KELO:
私は川崎の出身で、今から20年以上前、中学生のときにダンスを始めました。そのころ、不登校になっていた私に兄がダンスのビデオを見せてくれたのがきっかけです。当時は今のようにヒップホップ系のダンスは身近ではなかったですし、習える場所もほとんどありませんでしたが、とにかくダンスがしたい一心で伝手(つて)を求めていろいろなところに赴き、様々なダンサーの方に教えてもらい、練習に励みました。やればやるほど、だんだんうまくなって褒められるので、嬉しくてまた頑張る・・・の繰り返し。そうするとだんだん自分に自信がついてきて、ひるまず学校にも再び通えるようになりました。高校入学後はいろいろな大会やイベントにも出場するようになり、「復活ダンス甲子園」で2連覇、アメリカ・アポロシアターのアマチュアナイトで年間チャンピオンを獲得しました。今はフリーのダンサーや振付師として活動しつつ、昨年からは「川崎でストリートダンスを盛り上げたい」という想いに共感して、KADOKAWA DREAMSに参加しています。

自分の好きなことに集中すれば、「居場所」はおのずと見つかる

藤田:
ありがとうございます。皆さん、自分の「好きなこと」に熱中して一直線に歩んでいらっしゃるところが、すごくかっこいいですね。私は今、「iBASHOプロジェクト」に参画して、地域で若者が安心して過ごせる居場所づくりに挑戦しています。学校や家庭だけでは「行き場」を失いがちな若者たちに、第三の居場所を提供したいという思いから始まったプロジェクトです。iBASHOプロジェクトが行った調査では、10代の若者の75.8%が「居場所が必要」と回答しています。皆さんもジャンプロープやダンスを通じて自分の居場所を見つけ、そこから世界へ挑戦してこられましたが、自分の「居場所」を見つけるために大切なことは何だと感じていますか?

KAI:
居場所は、自分の好きなことに挑戦できる場所のことだと思っています。居場所を見つけられるのは、自分自身だけ。つまり、居場所を見つけるにはほかの誰でもない、自分が動いてみるしかありません。好きなものがあるなら見に行ってみる、気になる人がいるなら会いに行くのが大切です。「特に好きなものがない」という人も、まずはいろんなところに行ったり、本を読んだりして世界を広げると、思いがけない出会いがあるはず。私も、たまたま高校の文化祭に行ってジャンプロープに出会ったことで、人生が変わりましたから。

KISA:
私にとっての「居場所」は、自分の好きなことができる場所、それを受け入れてもらえる場所です。好きなものって、探していてもなかなか見つからないものですよね。「見つける」というよりは「出会う」ものかもしれません。出会うためには、先ほどKAIさんがおっしゃったように、動くことが大切です。その点、川崎はいつも何かしらイベントが行われていて気軽に見られる環境が整っているので、「出会い」には最高のまちじゃないですかね。何気なく顔を出したイベントで、好きなものが見つかるかもしれないので、まずは出かけてみるのがいいんじゃないでしょうか。もし、ダンスに興味がある人がいたら、ぜひ私たちのダンスを見に来てほしいです。

HINATA.M:
KISAと同じく私にとっても居場所=好きなことをしている自分が受け入れてもらえる場所。といっても、そこにいる人が全員自分と同じような人である必要はなくて、いろんな人が集まっている場所がいいですよね。いろんな人がいて、それぞれの好きなことや得意なことを認め合える場所がいい。その意味で、今所属しているKADOKAWA DREAMSは自分にとってまさに理想の居場所です。ダンサーだけじゃなくて振付師やミュージシャンなどいろいろな職業の人や、様々な背景を持っている人がいますし、同じダンサーでも考え方やダンスのスタイルがそれぞれ違うので、すごく刺激になるし、たくさんのことを学ばせてもらっています。

KELO:
そもそも、無理に「居場所を見つけよう」とか思わなくていいのでは?と考えています。それよりも、もっと「自分が好きなもの」にフォーカスしたほうがいい。「居場所ありき」で考えるのではなく、まずは好きなものをとことん突き詰めていくと、おのずと「居場所」みたいな場所に辿り着くのではないでしょうか。私は金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい。」っていう言葉が大好きですが、残念なことに私たちは幼稚園ぐらいのときから、「みんなで同じことをしよう」という教育を受けてしまってます。同じ制服を着て同じ時間に給食を食べて・・・。そんな中でどうしても感じてしまう「みんな同じじゃなきゃいけない」という思い込みから解放されて、自分は自分でいいと思えるようになったら、気負わずに過ごせる「居場所」も見つかるかもしれません。

「やりたいこと、やってみなよ」という大らかな雰囲気が川崎の魅力

藤田:
頑張らなくてもいい場所、という意味での居場所は大事ですよね。iBASHOプロジェクトの調査でも、74.1% の人が「特に目的もなくいられる場所が欲しい」と答えていて、何気なく過ごせる居場所の必要性が浮き彫りになっています。先ほどKISAさんがおっしゃったとおり、川崎は幅広い分野のイベントも多いですし、近年ではストリートダンスや音楽など若者カルチャーが盛り上がっていて、居場所との出会いのチャンスも多いのではないかと思います。皆さんからみて、川崎のストリートカルチャーの魅力や特徴はどんなところにあると感じますか?

KAI:
市民の皆さんが、誰でも柔軟に受け入れてくれるところが、一番の魅力ですよね。私自身、高校時代に武蔵溝ノ口駅前でブレイキンの仲間に入れてもらって練習を始めたのがきっかけで、毎週のように川崎に通うようになったのですが、よそ者である私を川崎の人たちはごく自然に受け入れてくれました。川崎には「やりたいこと、やってみなよ」という感じで、良い意味で放っておいてくれる大らかな雰囲気があって、そこが若者には心地よいのではないでしょうか。

KISA:
川崎にはいろんなカルチャーがあるのですが、それぞれが孤立せずに、うまく融合している点が居心地がいいなと思います。例えば私たちKADOKAWA DREAMSも川崎市市制100周年のビデオに出演させていただいたり、川崎病院の小児科の壁紙デザインをさせていただいたりと、他の分野のコラボレーションの機会をたくさんいただいています。

HINATA.M:
今年2025年からはKADOKAWA DREAMSのメンバーが、市内の小中学校で行う出張体験授業「KAWASAKI 10,000人プロジェクト」も始まりました。出張授業では、こどもたちのキラキラした表情を見ることができて、私たちダンサーにもすごく良い刺激になっています。自分自身がそうだったように、川崎のこどもたちにもダンスとの出会いが自分をもっと好きになるきっかけになったら、すごく嬉しいですね。

KELO:
全国的に見ると、まだまだストリートダンスへの理解が進んでいるとはいいがたい状況なので、川崎は本当に特別なまちだと思います。これからは、私たちももっと外向きの活動に力を入れて、市民の皆さんがもっと気軽にダンスを見たり体験したりする機会を増やしていきたいですね。私自身、川崎で生まれ育ちましたが、こどものころは川崎がストリートカルチャーの聖地のような場所になるなんて、思ってもみませんでした。それがここ20数年で文化が育まれ、定着して、成熟が進んでいます。私たちも、次の20年でより川崎が進化して「みんなちがって、みんないい。」のまちになるように、がんばっていきたいですね。

夢中になれるものに出会ったら、まずは一歩を踏み出そう

藤田:
なるほど、確かにここ20年ほどでストリートカルチャーを取り巻く状況は大きく変わりました。ということは、今はまだ注目されていないニッチなカルチャーに、一人で黙々と取り組んでいる若者にもチャンスがあるということですよね。そんな人たちも含め、これを読んでいる若者の皆さんに、一言ずつメッセージをお願いします。

KAI:
いろいろなことに、どんどんチャレンジしてほしいです。自分がまだやったことのないことに挑戦し、その中で「これが好きだ」と思えるものを見つけたら、それに全ベットして(すべてを賭けて)、命がけで取り組んでください。胸を張って「自分はこれが好きだ」と言っても大丈夫です。全力で頑張れば、あなたを助けてくれる仲間にもきっと出会えます。まずは、一歩を踏み出してみてください。

KISA:
KAIさんのおっしゃるとおり、やりたいことに全力をかけて信じてやるのみです。やっている人が少ないことでも恥ずかしがったりあきらめたりしないことが大事。むしろ、それを信じて貫いた方が何年後かに「先頭を切っている人」になれると思います。

HINATA.M:
「これは!」と思うものを見つけたら、迷わず挑戦すること。そして、継続していくことですね。失敗しても大丈夫。何かに失敗したとしても、あきらめずに続けていれば、失敗から得た学びを生かして成功することができます。

KELO:
私からお伝えしたいのは、「無我夢中であれ」ということだけですね。周りはあまり気にせず、自分の本能に従って好きなことにフォーカスしてください。周囲が見えなくなる・聞こえなくなるくらい集中したら、何者かになれていると思うし、「居場所」にも辿り着けると思いますよ。どうしても自分が何をしたらいいかわからなくなったら、周囲の人に相談してみたらいい。私たちのダンスや公演、ワークショップなどを見に来てくれるのも大歓迎です。とにかく動いてみることで、いろんな景色が見えてくると思いますよ。

藤田:
まずは動いてみることですね。皆さん、今日は貴重なお話をありがとうございました。

KAI(Instagram)

KADOKAWA DREAMS

シンカ

川崎の若者文化を象徴する「ミューラルアート」

「ミューラルアート」とは、施設所有者の許可を得たうえで、建物の壁などに描かれる作品のこと。まちの景観に彩りを与え、市民がアートに触れられる機会を作る目的もあります。

川崎市では「かわさきミューラルアートさんぽ」のデジタルスタンプラリーなどで、駅周辺を彩るミューラルアートを歩きながら楽しむ機会を増やしています。
このサイトの背景に流れている作品は、全長56mにもわたる川崎市役所本庁舎整備工事現場の仮囲いを、5人のアーティスト(DRAGON76氏、COOK氏、Kensuke Takahashi氏、Tokio Aoyama氏、WOOD氏)がミューラルアートで彩ったもので、「江戸を中心としたアート文化」と「若者文化」を融合させたもの。
川崎市は、このようなストリートカルチャーをはじめとした若者文化を積極的に発信しています。

川崎市内のミューラルアートのスポットはこちらから

ナノ医療の現在地と、川崎から見える未来

ナノテクノロジーを生かした新たな医療「体内病院」の実現を目指して

島﨑:本日は創立10周年を迎えたナノ医療イノベーションセンター(以下、iCONM)の現状と今後の展望について、日本のナノ医療研究をけん引してきた片岡一則センター長、東京大学大学院工学系研究科にてナノ医療の研究で博士号の取得を目指す石橋幸音さんにお話を伺います。まずは、お二人から自己紹介をお願いします。

片岡:
iCONMセンター長の片岡です。私は東京大学大学院の博士課程からバイオマテリアル(体内で安全に使える人工材料)の研究を始めました。きっかけは当時の指導教官に「単にモノをつくるのではなく、人類の福祉の向上に役立つ研究をしてはどうか」と言われたこと。以来、数十年にわたって工学と医学の両分野にまたがる研究を続け、現在は主に「ナノマシン」と「体内病院」の研究に取り組んでいます。ナノマシンとは後で詳しくご説明しますが、簡単にいうと「目に見えないくらい小さい、医療用のナノカプセル」のこと。体内病院とは「ナノマシンを使って人の体の中で病気の予防・診断・治療を自動的に行う仕組みや技術」のことです。これが実現できれば、病気を早期に見つけ、体への負担を最小限に抑えながら治療をすることができます。

石橋:
東京大学大学院工学系研究科博士課程1年の石橋です。私は新潟県長岡市の出身で、現在、博士課程の1年生です。片岡先生のご指導を受けた宮田完二郎教授の研究室に所属し、主に脳腫瘍の発見・治療に使うナノマシンの研究に取り組んでいます。年に数回はここiCONMを訪れて研究者の皆さんとディスカッションを行っています。iCONMが行うイベントのお手伝いをすることもあります。iCONMには企業や大学などいろいろなバックグラウンドの研究者が在籍しており、とても良い刺激をいただいています。

設立10年、多様な才能が交錯するイノベーティブ拠点に成長

島﨑:iCONMは今年10周年を迎えました。片岡先生は設立当初からセンター長を務めていらっしゃいますが、どのような経緯で就任されたのですか?

片岡:
iCONMの設立は2015年ですが、すでに2013年に採択された「革新的イノベーション創出プログラム川崎拠点(プロジェクトCOINS)の研究活動のリーダーを務めていた関係で、iCONMのセンター長に就任することになりました。iCONMのあるキングスカイフロントは、もともと自動車工場のあった場所です。かつて川崎市を支えてきた重化学工業を象徴する地に、ライフサイエンスや環境分野の研究開発、新産業の創出をめざすオープンイノベーション拠点を築くという構想に、大きな感銘を受けました。建物の構造も非常に斬新で、異分野の技術や人材が自然に集まって交流できるようにオープンスペースを随所に取り入れた設計が採用されており、研究者同士の連携を促進する環境が整えられています。新事業やベンチャー企業の創出を後押しする取り組みは、当時の日本において極めて先進的で画期的な試みであったと思います。

島﨑: この10年で、どのような成果がありましたか?

片岡:
iCONMでは、「①京浜健康コンビナートの中核として、②市民の誇りとなり、③夢を叶える医療技術を次々と発信し、④世界で最もイノベーティブな拠点を目指す」というビジョンを掲げていますが、この10年間で、①~④すべてにおいて一定の成果を上げることができたと自負しています。

なかでも③については、取り組んできた研究の一部を臨床試験の段階にまで進めることができました。これは、基礎研究として始まった成果が実際の医療現場での応用に大きく近づいたことを意味します。iCONMで生まれた技術が、人の体で安全性と有効性を確かめる段階に入ったことは、未来の医療実現に向けた確かな前進であり、研究者にとっても市民にとっても大きな希望になっていると考えています。

島﨑:10年間を振り返って、何に一番苦労されましたか?

片岡:
しいて挙げるとすれば、iCONMのコンセプトがあまりに先鋭的であったがゆえに、周囲の理解を得るまでに時間を要したことでしょう。「交流スペースは無駄じゃないか?」「ナノ医療など実現できるのか?」といった疑問の声も少なくありませんでした。けれども、そうした課題があるからこそ挑む価値があり、やりがいも大きかったのです。常に新しいことに挑戦する姿勢を大切にし、一歩ずつ前進を重ねてきました。その結果、iCONMはまるで梁山泊のように、多様な人材が自然に集い、互いに刺激を受け合う拠点へと育ちました。異分野の研究者や技術者が交流し、多様な才能とアイデアが交錯する場を築けたことを、何より嬉しく思っています。

※豪傑や野心家など、優れた人物が集まる場所のたとえ

島﨑:石橋さんは研究者として、iCONMにどんな魅力を感じますか?

石橋:
大学ではなかなか実現できない、異分野の研究者や企業との連携、市民との交流が可能な点に魅力を感じています。外部に開かれた環境の中で、研究と社会が近く、実際に社会で役立つ研究成果を身近に感じられるのも大きな魅力です。異なる分野の知見や経験が交わることで、新しいアイデアや技術の発想につながりやすく、研究の幅やスピードも広がります。実社会へのインパクトを意識する環境があるからこそ、iCONMでの取り組みは単なる学術研究にとどまらないのだと思います。また、海が近くて開放的な環境も、素晴らしいと思います。目の前に多摩川と羽田空港を望むラウンジで過ごす時間は、良い気分転換になっています。

ナノ医療で実現する「病が気にならないしなやかな健康長寿」とは?

島﨑:ここで改めて、「ナノ医療」の説明をお願いします。

片岡:
ナノ医療とは、ナノテクノロジーを医療に応用する新しい取り組みです。ナノテクノロジーとは、物質をナノメートル(1ナノメートル=10億分の1メートル)という非常に小さなスケールで扱い、その構造や性質を工夫する技術のことを指します。物質は大きさが変わると性質も変化することがあり、例えば金や銀などの金属はナノサイズになると色や硬さ、反応のしやすさなどが通常とは異なってきます。冒頭で紹介した「ナノマシン」はこうした特性を利用したナノサイズの極小カプセルです。実用化できれば、病気の細胞だけに薬を届けたり、体の中の異常を早く見つけたりと、これまでにない方法で診断や治療が可能になります。たとえば、従来のがん治療では抗がん剤をそのまま投与していたため、がん細胞ではない正常な細胞にまでダメージを与える副作用が課題でした。しかし、抗がん剤を搭載したナノマシンを使えばがん細胞だけを狙い撃ちして抗がん剤を届けることができ、副作用を抑えることができます。

iCONMでは体内を循環するナノマシンが、体内の異常を察知すると、その異常が将来どのような疾患に結びつくのかを診断し、必要であれば適切な治療まで行う「体内病院」の仕組み構築を目指す研究を進めています。

島﨑:この10年で、ナノマシンの研究は、どの段階まで進みましたか?

片岡:
すでに脳腫瘍やがんなど一部の疾患を対象にした研究では、臨床試験の段階まで進んでいます。例えば先ほどの抗がん剤を搭載したナノマシンの研究はすでに第2相の臨床試験(少人数を対象に薬の安全性と有効性を確認する試験)まで進んでおり、実用化に向けて大きく前進しています。20年後の2045年に体内病院の実現を目指し、引き続き産学官で力を合わせて研究にまい進してまいります。

島﨑:体内病院をはじめとしたナノ医療の実現によって、どのような未来が期待できますか?

片岡:
私は、ナノ医療は医療における産業革命のようなものだと考えています。産業革命によって工業化が進むと、これまで仕事に多くの時間を取られていた人々にも自由に使える時間(余暇)が生まれました。その時間を使って人々は、生活の不便を解決するアイデアや新しい技術の研究・開発に取り組むことができ、結果としてさまざまな発明やテクノロジーが次々と生み出されたのです。同様に、ナノテクノロジーを医療に応用することで、医療従事者に余裕を生み出し、患者と向き合う時間を増やすことができます。つまり、一人ひとりに最適な医療を提供できる体制を築くことが可能になるということです。さらに、少子高齢化に伴う医療従事者不足にも貢献できるので、最終的には病気が不安要素にならない社会、つまり「病が気にならないしなやかな(レジリエントな)健康長寿社会」を実現できると確信しています。

「越境する好奇心」が研究の原動力

島﨑:石橋さんもナノマシンを使った研究をされていますね。修士論文にまとめた「ナノルーラー」の研究は学内で工学系研究科長賞を受賞されたと伺っています。どのような研究ですか?

石橋:
ナノルーラーというナノサイズのルーラー(ものさし)を使い、血管の穴の大きさを測定する研究に取り組んでいます。血管の壁には非常に小さな穴があり、ナノマシンはその穴を通過することで薬を必要な細胞まで届けるのですが、穴の大きさは臓器や病気の進行度合いによって異なるため、穴に合ったナノマシンを作らなければ、薬を届けることはできません。そこで、ナノルーラーを使って血管にあいた穴のサイズを調べ、そのサイズに合わせてナノマシンを設計することで、効率よく薬を届けることを目指しています。現在、私たちが主に取り組んでいるのは、脳腫瘍の治療に使うナノルーラーとナノマシンの研究です。通常、脳の血管には穴が開いていませんが、腫瘍ができると血管に小さな穴が生じます。その穴の大きさを測定して穴を通れるサイズのナノマシンを設計することにより、腫瘍に直接薬を届ける仕組みを実現したいと考えています。

島﨑:石橋さん、この機会に大先輩である片岡センター長に質問したいことはありますか?

石橋:
2つあります。まず、片岡先生は私のような若手研究者や研究者を目指す学生に、どのようなことを期待されますか?


片岡:
「越境する好奇心」を持ち続けてほしいですね。日本では大学や大学院での専攻が重視される傾向がありますが、海外ではそれほど気にされません。専攻について尋ねられることはほとんどなく、代わりに「今、何の研究をしているの?」と聞かれます。自分の専攻をベースにしながらも、その枠にとらわれず、幅広い分野に目を向けて、心から研究したいと思えるテーマを見つけてほしいと願っています。

石橋:
ありがとうございます。もう一つ質問させてください。先生は50年近く第一線で研究を続けていらっしゃいます。モチベーションを失わず、長く研究に打ち込める秘訣は何でしょうか?

片岡:
やはり、越境する好奇心をもつこと。そして、研究を楽しむことです。英語で博士号のことをPh.D.(Philosophy Doctor)といいますよね。明治時代にこの言葉が入ってきたとき、Philosophyは「哲学」と訳されてしまいましたが、本来は「知を愛する」という意味の言葉です。つまり、研究者というのは、知ることを愛して探求する人なんですよね。大学院時代にはただ論文を書くだけでなく、好奇心をもっていろいろな分野に目を向け、自分で考えて探求する方法論をぜひ身に付けてください。そして、物事を探求することそのものを喜ぶ姿勢を大切に。「~しなければならない」と自分を追い込まず、柔軟にいろいろな方向から考えることで長く研究を続けられるのではないでしょうか。

石橋:
ありがとうございます。私も知を愛する一人として、越境する好奇心を失わず、研究を楽しみたいと思います。

ベンチャースピリッツが息づく川崎は、イノベーション拠点に最適な地

島﨑:お二人に川崎についてもご意見を伺いたいと思います。片岡先生は川崎という都市にどんな可能性や魅力を感じていますか?

片岡:
川崎は明治時代以降、民間の起業家が中心になって港湾開発を行うなど、ベンチャースピリッツが息づく土地柄ですから、イノベーションに挑む私たち研究者にとって、まさに理想的な環境だと感じています。市民の皆さんの研究への関心も高く、市の政策と連動した取り組みがスムーズに進められる点も素晴らしいと思っています。羽田空港に近いので、海外の研究機関や企業とのネットワークを意識した活動が行いやすく、グローバルな視点での研究を進める上で、大きな利点となっています。

石橋:
川崎と聞くと工業地帯のイメージが強かったのですが、iCONMのあるキングスカイフロントは思った以上に自然が身近で、健康や環境の研究をするにはぴったりの場所だと思います。私の大学は都心にあり、普段は研究室にこもりがちなだけに、海や空をすぐそばに感じられるiCONMに来るのがとても楽しみです。訪問の度に多摩川や羽田空港の景色を眺めて、心身ともにリフレッシュしています。聞くところによると、川崎にはご当地グルメやクラフトビールなど美味しいものもたくさんあるそうなので、これからはiCONMを訪問するついでに、プライベートでも川崎を楽しみたいと思っています。

高校生と研究者の交流会も。理系人材育成にも貢献するiCONM

島﨑:石橋さんのような女性研究者の活躍は、非常に心強いですね。「若者の理系離れ」という言葉もありますが、片岡先生はどう考えていますか?

片岡:
まず、多くの高校で理系と文系を分けるシステムがありますが、どちらかを切り捨てるのではなく、横断的に学べる環境を作れると良いですね。実は私は高校2年までは文系志望でした。結果として大学では理系の学部に進み、工学と医学の領域で研究をすることになりましたが、研究を続ける中で実は文系のスキル(読解力、作文力など)にずいぶん助けられました。また、数学については、細かく教えすぎるのではなく、基本をしっかり教えて、数学の面白さを知ってもらうような教育が理想ですね。

島﨑:工学系に進む女性は少ないですが、石橋さんはなぜ工学部を志望したのですか?

石橋:
単に学問を追求するだけでなく社会に役立つ勉強がしたいと思い、工学部に進学しました。実際に入ってみると予想以上に女性が少なくて、東京大学全体でも理系の女子学生は2割ほど。工学部は1割未満です。女性のロールモデルが身近にいないことに不安を感じることもありますが、だからこそ、自分たちの世代が研究者として実績を積み、次の世代の女性が理系を選びやすくなる環境を作っていきたいと考えています。iCONMに来ると、女性研究者が生き生きと活躍している姿を見ることができ、とても励みになります。

片岡:
iCONMでは若い世代に理科への関心をもってもらうために、川崎市内の高校への出前授業やワークショップ、研究者体験や研究者との交流会などを行っています。先日も市内の女子高生たちが見学に来てくれたんですよ。

石橋:
いいですね。高校時代にiCONMのような最先端の施設を見学できるなんて、学生たちにとって大きな刺激になったのではないでしょうか。私自身もiCONMで公開イベントのお手伝いをすることがありますが、研究者と市民の方々が直接交流する場に立ち会うことで、多くの気づきや学びを得ています。将来は大学教員となり、若手研究者の育成にも携わりたいと考えているので、こうした機会は自分にとってかけがえのない経験になっています。

医療・工学・看護の連携で川崎発の「ケアイノベーション」を

島﨑:最後に片岡センター長から川崎市民の皆さんに、一言メッセージをお願いします。

片岡:
iCONMでは創設以来、ナノ医療の研究や人材育成に取り組んできました。しかし、私たちが目指す「病を意識せずに生きられる、しなやかな(レジリエントな)健康長寿社会」を実現するには、医学研究だけでは十分ではありません。介護や看護に携わる人材の育成に加え、介護ロボットや見守りセンサーといった先端テクノロジーの活用も欠かせません。こうした課題意識から、川崎市では『プロジェクトCHANGE』が始動しました。医療・工学・看護の専門家が連携し、介護・看護の現場をより良くするとともに、地域や在宅ケアの質を高め、さらに職場環境の改善や新技術の開発にも挑戦しています。iCONMもこの取り組みに参画し、現場の皆さんと力を合わせながら「ケアイノベーション」の実現に貢献したいと考えています。市民の皆さんとともに、安心して長く健康に暮らせる未来を築いてまいりますので、今後とも温かいご支援をお願い申し上げます。

公益財団法人 川崎市産業振興財団 ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)

CHANGE:Center or Healthy longevity And Nursing innovation with Grobal Ecosystem/レジリエント健康長寿社会の実現を先導するグローバルエコシステム形成拠点。看護現場に革新をもたらすことを目指し、医療・工学・看護の共創を推進する取り組みで、このプロジェクトは、JST COI-NEXTプログラム川崎拠点として2022年に採択され、10年間をかけてレジリエントな健康長寿社会の実現を目指す。

シンカ

ナノマシンを図解!

川崎市「キングスカイフロント」にあるナノ医療イノベーションセンター(iCONM)は、未来の医療を切り拓く最前線の研究拠点です。ここでは、ナノマシン技術を駆使して、従来の医療の枠を超えた「体内病院」の実現を目指しています。ナノマシンはナノメートルサイズの微小な機械で、薬を特定部位に届ける「運び屋」として機能します。iCONMでは、がんやアルツハイマー病など難治性疾患に対応するスマートナノマシンの研究が進められ、体内の異常を感知して自動的に薬を放出することで、精密かつ副作用の少ない治療を可能にします。キングスカイフロントから生まれるこの革新は、日本の医療を次の時代へと押し進め、誰もがより安心して医療を受けられる未来を切り拓きます。